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【東京福めぐり】都営浅草線沿線にある八社を巡って、オリジナル折帖に御朱印をいただこう

東京福めぐり

東京福めぐりは都営浅草線にある8つの神社を巡って、福をいただこうという神社めぐり。

スタートしたのは2016年7月1日。と、始まったばかりの神社めぐりですが、オリジナル折帖に御朱印をいただけることから人気を集めています。

東京福めぐりは以下の八社を巡ります。

  • 上神明天祖神社
  • 戸越八幡神社
  • 高輪神社
  • 烏森神社
  • 波除神社
  • 福徳神社
  • 鳥越神社
  • 浅草神社

上神明天祖神社(かみしんめいてんそじんじゃ)

創建は鎌倉時代、1323年ごろだと言われています。心願成就の白蛇さまとして知られる「蛇窪の白蛇大神」が祀られています。荏原七福神の弁財天です。

上神明天祖神社の御祭神

天照大御神(あまてらすおおみかみ)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
応神天皇(おおじんてんのう)

戸越八幡神社

創建は大永六年(1526年)。村内籔清水水源地から御神体が出現し、行永法師が草庵に奉安して、石清水八幡宮の御分霊を勧請して祀ったのが起源であると伝わっています。戸越村の鎮守でした。

戸越八幡神社の御祭神

誉田別尊(ほだわけのみこと)

高輪神社

高輪一円の総鎮守。創建は室町時代中期で、お稲荷様、八幡様、猿田彦様が祀られています。境内社には聖徳太子も祀られているとのこと。

高輪神社の御祭神

宇迦御魂神(うがのみたまのかみ)
誉田別命(ほだわけのみこと)
猿田彦神(さるたひこのかみ

烏森神社

港区_新橋_烏森神社の二の鳥居

新橋駅のすぐ近くにあり、多くのサラリーマンが参拝に訪れます。

創建は平安時代。平将門の乱がおこった際、藤原秀郷が武州のある稲荷に戦勝祈願をした際、白狐が現れ、白羽の矢を与えました。その矢をもって、乱を沈めた藤原秀郷がお礼とし一社を勧請しようとしたところ、白狐が夢に現れ、神鳥の群がる場所が霊地であると告げます。夢で告げられた鳥が群がる場所に社頭を造営したのが、烏森神社の始まりです。

江戸中が焼け野原になった明暦の大火でも焼けなかったことから、江戸庶民からさらに篤い信仰を集めました。

江戸時代に「江戸の三森」と呼ばれました。(烏森・柳森・椙森

御祭神

倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
天鈿女命(あめのうづめのみこと)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)

烏森神社の参拝記と御朱印についてはこちら

烏森神社【烏森神社と御朱印】カラフルな御朱印が人気!江戸三森の一社として愛されてきた神社|港区新橋

波除神社

約350年前、江戸開府の際に江戸の町は大きく整備が行われました。最後まで困難を極めたのは波除神社のある築地一帯の埋め立て工事でした。

堤防を築いても築いても強い波にさらわれてしまうなか、人々が光を放って海面を漂う稲荷大伸の御神体を見つけ、波除稲荷神社の社殿を建立したところ、波がぴたりとやんだそうです。

ここから波除神社の名前がつきました。「災難を除き、波を乗り切る」神様として、今も多くの信仰を集める神社です。

波除神社の御祭神

倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

福徳神社

福徳神社の社殿

日本橋の大型商業施設や高層オフィスビルのはざまに立つ神社です。創建の詳細は不明ですが、貞観年間からこの地に鎮座していたことが記録に残されています。

武将からの信仰が篤く、江戸幕府初代将軍の徳川家康、その息子で二代将軍の徳川秀忠も参拝しました。福徳神社の別名を「芽吹稲荷」と言いますが、この別名をつけたのは秀忠です。

福徳神社の御祭神

<主祭神>
倉稲魂命〈うかのみたまのみこと〉

<相殿>
天穂日命〈あめのほひのみこと〉
大己貴命〈おおなむちのみこと〉
少名彦名命〈すくなひこなのみこと〉
事代主命〈ことしろぬしのみこと〉
三穂津媛命〈みほつひめのみこと〉

<江戸時代前後に合祀>
太田道灌
弁財天(江戸城より勧請)
徳川家康(東照大権現)

▽参拝記と御朱印についてはこちら

福徳神社【福徳神社(芽吹稲荷)】で御朱印を拝受、宝くじ当選の御利益あり!徳川家康も参拝した神社【中央区日本橋】

鳥越神社

鳥越神社は鎮座1350年の歴史のある古社で、創建は651年と伝わります。かつてこのあたりは白鳥村と称しており、白鳥村の見晴らしのいい白鳥山の山頂に「白鳥明神」として奉祀されました。

八幡太郎義家公が奥州征伐に向かうためこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を教えられ、大川(現在の隅田川)を渡ることができました。それを白鳥明神のご加護だとたたえ、鳥越大明神の御社号を奉ったそうです。

鳥越神社の御祭神

日本武尊(やまとたけるのみこと)

【相殿】
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
東照宮公(とうしょうぐうこう)

浅草神社

浅草の総鎮守で、通称「三社様」。5月に行われる三社祭は全国的に有名です。

社伝によれば、推古天皇36年(628年)、檜前濱成(浜成)・檜前竹成の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、網に同じ人形の像が繰り返し掛かった。兄弟がこの地域で物知りだった土師眞中知(真中知)に相談した所、これは観音像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになった。その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。これが淺草寺の始まりである。土師真中知の歿後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・竹成を神として祀ったのが当社の起源であるとしている。Wikipedia

浅草神社の御祭神

土師真仲知命(はじのまつちのみこと)
桧前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)
桧前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)

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